「天神様」は忌日?
facebook林 誠司さん投稿記事
https://ameblo.jp/seijihys/entry-12891451693.html
忌日俳句について考えました。
【「忌日の季語」は「季語」になるのか?】より
先日の句会で、「忌日俳句」には他の「季語」を入れなければならないのか?という質問を受けた。その方は別の指導者の句会にも出ていて、その指導者がそう言っていた、というのである。これは句会でよく出て来る俳句の素朴な疑問である。
「季語」というのは「季節」を表す言葉…、「蝶」ならば「春」、「蝉」ならば「夏」とすぐに季節が浮かび、季感が生まれるが、「忌日の季語」の場合はそうはならない。
桜桃忌(太宰治の忌日)なら「梅雨」、西行忌なら「桜の頃」と思い浮かぶ。
が…、これらはほとんど例外で、多くの「忌日の季語」はいつなのか、ほとんどわからない。
「藤原定家忌」「小野小町忌」「源頼朝忌」「吉田松陰忌」「島崎藤村忌」「坂口安吾忌」と言われても、ほとんどの人はいつの季節なのかわからない。
なので、一句の中に「忌日の季語」の他にもう一つ「季語」を入れろ、と言っているのであろう。まあ、そういわれればそう思えて来る。
しかし、「忌日の季語」が「季語」として成立しないならば、なぜ「歳時記」に掲載しているのだろう。大きな「矛盾」である。
私の答えは「忌日俳句に別の季語を(無理に)入れる必要は無い。」である。
先人達は「忌日の季語」を「季語」と認めていたのである。
確かに、多くの「忌日の季語」の時期は知らないが、それは知らない方が悪い(笑)。
少なくとも、江戸時代の俳諧師・俳諧愛好者たちは、俳句の基礎知識として、「漢文」「和歌」を含む「古典」を多く学んだ。
われわれも常に「歳時記」などを日々めくるようにすれば、全ての「忌日の季語」、正確な日付を覚えるのは無理としても、だいたいの季節は把握出来る。
また、どの「忌日の季語」がメジャーで、マイナーかは人に拠る。
議論してもきりがない。
歳時記に載っている「忌日の季語」であれば、みんなメジャーとして考えるべきだ。
それに句会に歳時記、季寄せを持参し、その場で調べれば済む。
まして今はスマホですぐに調べられる。
結論として「知らない方が勉強不足」なのである。
もちろん、マイナーと言っては失礼だが、「歳時記」に載っていない人物の忌日俳句には、季語を入れたほうがいい。
あともう一つ、気になるのが「外国人の忌日」をどう扱うべきだ。
12月8日の「ジョン・レノン忌」は今や「季語」として認知されつつある。
が、「レノン忌」はどの歳時記にも(私が知る限り)載っていない。
私はさっさと掲載すべきだと思うが、これもなかなか難しい問題だ。
というのも、外国人の忌日も季語として認めれば、際限が無くなってしまう。
「ナポレオン忌」「アインシュタイン忌」「カエサル忌」「毛沢東忌」「スターリン忌」「コロンブス忌」などなど、際限がない。
一度「レノン忌」を季語として認めてしまうと、実にややこしくなってしまう。
ここしばらく、歳時記に外国人の忌日が載ることはないだろう、と私は考える。
ちなみに今日は「与謝野鉄幹忌」「室生犀星忌」「山口誓子忌」である。
https://www.e-sogi.com/guide/16236/ 【忌日(きじつ)とは?意味や確認方法、忌日法要】より
忌日とは故人の亡くなった日のことで、命日とも呼ばれる
仏教では、忌日を基準として節目ごとに「忌日法要」を行う
忌中は故人の命日から49日間を指し、三十三回忌を経て完全に成仏する
忌日とは、故人の亡くなった日のことです。仏教では、この日を基準にして節目ごとに法要を行うこととされています。これらの法要を「忌日法要」と言います。
忌日法要は、忌中と忌明けで法要の意味が異なります。亡くなってから49日を経過するまでの忌中の法要では、故人が仏となれるように、供養をします。また、忌明け後の決まった年ごとに行う法要には、家族が故人を忘れず、故人も安らかであり続けられるように、という願いが込められています。
忌日(きじつ)と年忌法要の意味
「忌日」とは、故人の亡くなった日のことです。「命日」という呼ばれ方のほうが知られているかもしれません。
仏教では、この忌日を基準として、決められた周期で法要を行います。故人を悼み、極楽浄土へ往生するように願うためです。この法要を「忌日法要」や「年忌法要」と言います。忌日法要は、行われる周期によって意味がありますので、故人のためにも法要の意味を理解し、忘れずに行うのがよいでしょう。
忌中の供養は忌日から7日ごと
「忌中」とは、亡くなってから49日以内のことです。仏教ではこの期間、故人が極楽浄土へ行けるように7日ごとに祈念して法要を行います。
宗派にもよりますが、忌中の期間は、故人はまだ「霊」として死後の裁きを待っている状態と考えられています。「三途の川」や「閻魔大王」のエピソードに相当する期間です。
したがって、宗派によっては、残された家族も慎み深い生活を送るように心がけます。それによって、死後の裁きで輪廻から脱し、浄土へ行けることを期待します。
「輪廻転生」という言葉を聞いたことがあると思います。
人だけでなく命のあったものは生前の行いによって裁かれ、次の生まれ変わり先が決まると言われています。仏になると輪廻転生を繰り返さず、浄土で心が穏やかに過ごせると言われています。
故人が仏として安らかに過ごせるように、残された家族は7日ごとに法要を行うのです。導師(お坊さん)にしたがい、故人を悼みながら生前の行いをともに悔いたり、仏となるために必要な素質を学んだりします。
忌中に行われる年忌法要と回数
亡くなってから7日目を「初七日(しょなのか)」の法要と言います。初七日から後は順に、二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)、四七日(よなのか)、五七日(いつなのか)、六七日(むなのか)と進んでいきます。
七七日(なななのか)は、「四十九日(しじゅうくにち)」とも言われます。
この日、故人の霊に対して、最後の裁きが行われます。家族に悼まれ、功徳を積んだ故人は、この日をもって「仏」として、極楽浄土へ迎え入れられると言われています。
この日を過ぎると「忌明け(きあけ)」、「忌が明けた」などと言います。
忌日と年忌法要の確認方法と計算方法
四十九日を過ぎ、百箇日の法要が終わると、該当の年に法要を行います。年ごとのため、「年忌法要」とも呼ばれています。
この年忌法要の数え方が少しややこしいので、注意が必要です。
ややこしい一回忌と三回忌
まず、亡くなってちょうど1年がたつ忌日には、「一周忌」の法要を行います。
一周忌の注意点は、数え年ではなく、満1年に行うという点です。一般的に一周忌までを「喪中」と言い、一周忌を過ぎると「喪が明けた」と言います。
「喪中のため年始のご挨拶を失礼いたします」という年賀欠礼の挨拶は、ここからきています。
一周忌の次は「三回忌」です。というのも、一周忌以降の年忌法要は数え年で計算する場合が多いからです。
数え年とは、ある出来事が起こった時を1年目と考えます。それ以降、1月1日を迎えるごとにひとつ年を重ねていきます。したがって、故人が亡くなった年は数え年では1年目なのです。先ほどの一周忌は満1年の節目で、数え年では2年目にあたりますが、一周忌と呼ぶので数え方が少しややこしいのです。
三回忌とは、数え年の3年目ですので、一周忌の翌年に行います。複雑に感じる場合は、「一周忌の翌年に、三回忌を行う」と覚えるのがよいでしょう。
三回忌を終えてしまえば年忌法要の「●回忌」の数字と数え年が合いますので、混乱が軽減します。
三十三回忌を経て完全に成仏する
年忌法要は以下の数え年に行われていきます。
・三回忌・七回忌・十三回忌・十七回忌・二十三回忌・二十五回忌・二十七回忌・三十三回忌
一般的には、三十三回忌をもって「弔い上げ」を言い、故人が完全に成仏したとみなします。これは観音様が人々を救う際、時と場合によって33の姿に変身するということに由来しています。33という数字は、亡くなった人が仏として救われるには縁起のよい数字なのです。
宗派や地域によっては、これらの年忌法要のどこかを省略したり、この後も五十回忌や百回忌を行ったりすることもあります。また、お寺によっては「年忌法要のお知らせ」というお知らせを送ってくださるところもあります。ご自身の宗派や地域での年忌法要の進め方についての詳細は、お寺のご住職や親戚に相談してみましょう。
忌日と年忌法要を忘れず、故人を供養しよう
忌日とその法要について、ご紹介しました。故人が安らかであるように、忘れず供養をしてさしあげたいものです。
法要は、宗教や宗派、地域によって異なり、ここに示した通りでないこともあります。どのように進めたらいいか迷う時には、お気軽にお問い合わせください。相談や見積もりを行うことで具体的なことが分かるようになり、不安が解消されることもあります。
また、葬儀についてお悩みの場合のご相談も受け付けております。
0コメント