自註現代俳句シリーズ『藺草慶子集』

https://sectpoclit.com/hisako-193/ 【綿虫と吾ともろともに抱きしめよ 藺草慶子】より

(『藺草慶子集』)

 先日、自註現代俳句シリーズ『藺草慶子集』(俳人協会刊)が届いた。これまでに出版された5冊の 句集及び未収録句から自選した300句を年代順に掲載し、自註を付した 本である

 私が藺草慶子さんと最初に出会ったのは20年ほど前のこと。当時すでに慶子さんは有力俳人として活躍中で、20代・30代の若手俳人にとっては憧れの作家であった。吟行の名手とも、席題の名手とも言われていた。しっかりとした写生句を詠まれる印象を持っていたが、今回出版された『藺草慶子集』には、様々な手法の句が収録されている。註も句の背景や解説ではなく、その頃に起こった出来事や俳句への思いなどが記されている。自註というよりは回想録のような感覚で読むことができ、新鮮である。

 藺草慶子さんは、昭和34年、東京都生まれ。東京女子大学在学中の23歳の頃、俳句研究会「白塔会」にて山口青邨に師事。黒田杏子指導「木の椅子会」、古舘曹人指導「ビギンザテン」、八田木枯指導「晩紅熟」に学ぶ。山口青邨主宰「夏草」、斎藤夏風主宰「屋根」、黒田杏子主宰「藍生」を経て、現在は染谷秀雄主宰「秀」所属。平成8年、第二句集『野の琴』で俳人協会新人賞受賞。平成18年、石田郷子、大木あまり、山西雅子とともに「星の木」創刊、同人。平成28年、『櫻翳』により第4回星野立子賞受賞。他の句集に、『鶴の邑』『遠き木』『雪日』がある。

 『藺草慶子集』には、丁寧な景の描写の句の中にときおり、ハッとするような恋の句が収められている。恋の句については、以下のような註があった。

  今生にわが恋いくつ夏の月  昭和五九年頃作

 「恋の句を作るのに憧れていた頃。中学、高校、大学と女子高育ちだったせいもあり、男性と話すのは苦手だった。」

  月光に明日逢ふための服を吊る  平成九年作

 「『ふらんす堂通信』に『愛の句恋の句』を連載開始。恋を詠んだ優れた句を紹介した。ずっと自分自身もそんな句が作ってみたかったのだ。

 恋の句に憧れていた作者は、「愛の句恋の句」の連載をしていた。恋の句を詠むのも頷ける。時には、友人や知人のことを詠んだ句も恋の句の雰囲気を帯びる。

  会へぬまま春月すでに濃くなりぬ   桐の花人に離れて歩きけり

  月高くなりて待たるる手紙かな    天空に鳥別るるや洗ひ髪

  納めたる雛ほど遠き人のあり     花の翳すべて逢ふべく逢ひし人

 四十年以上にもわたる句歴のなかでは、文芸上の恋も詠まれていると思われる。年齢とともに、初々しい恋から激しい恋を経て遠い恋へと変化してゆく。水っぽさを持たせない詠み方である。

  香水や封切るときの空の青    後の世も猟夫となりて吾を追へ

  君寄らば音叉めく身よ冬の星   髪白くなるうつそみや星の恋

  恋せよと蜩忘れよと蜩

 山口青邨の影響を受けた写生、観察の眼は、丁寧な描写を生んだ。また、旅が好きでその土地の民俗や風土を詠み込むことを得意とした。

  紺つばめ平戸に古りし解剖図  錆鮎や香炉の底の十字(クルス)紋

  ゆるやかに影を岐ちて鶴翔てり  爪先に深雪のきしむ鶴の村

  一山の寝落ちてしだれ桜かな

 海外詠も見事である。海外旅行は、女性の友人と二人で行くことが多いらしい。

  炎天やハレムに黄金(きん)の涙壺  朝涼や運河の映る化粧台

  蚊喰鳥ナイルに水位刻む壁

 単なる描写では終わらず、何気ない美の発見がある。作者によって見出された美は、恋への憧れを思わせる。

  うつとりと落ちゆくことも凧(いかのぼり)  ぶらんこの影を失ふ高さまで

  待宵や草を濡らして舟洗ふ      立春の星すみずみに雑木林

  遠き木の揺れはじめけり氷水     ねむる子のまぶたの動く青葉潮

俳壇からの高い評価とは裏腹に、表現には常に迷い続けたようだ。若い頃より、さまざまな句会に参加し、色々な句柄を学び研鑽を積んできた。

  この部屋に何告げに来し素足かな  平成一三年

 「ずっと伝統的な俳句らしい俳句を作りたかったのだが、それだけではないものにも魅力を感じていた。俳句らしくまとめなくてもいいのだと。」

  一鉢にしてこぞり立つ小菊かな  平成一四年

 「写生句が好きだ。一物は特に。じっと見ていると、どこかが光ってくる。

  鳴きだせば蜩の木のとほざかる  平成一八年

 「客観的にとか俳句らしくとか考えて作るのではなく、自分が感じたことをそのまま写生すればよいのだ。」

  拭いても拭いても鏡に桜顕はるる  平成二五年

 「自分の作品に自身がもてず、変えたいという思いがいつもある。この方向でいいのか自分ではわからない。模索しながら作り続けるしかない。」

 これらの迷いは、後進の私が現在背負っている逡巡であり、未来の私が抱く悩みでもある。作家としてあまりにも正直な吐露に何かしらのヒントを貰ったような気がした。

 句会では、写生や景の描写に拘りを見せる作者だが、観念的な句や空想的な句も見受けられる。

  百年は死者にみじかし柿の花      迷宮をころがる毬や春のくれ

  蓮の実のとぶや極楽飽きやすく     忘れ去り忘れ去り冬萌ゆるかな

  現し世は夢みるために独楽の紐     吾もまた誰かの夢か草氷柱

  ひるがほや永劫は何待つ時間      ふくろふの貌のくるりと悔いはあるか

 しかし、 本領は写生にあるのだろう。私自身も写生の楽しさは、慶子さんに教えて貰ったようなものだ。

  湯冷めして廃墟の中に立つごとし      戸袋へ走り入る戸や去年今年

  大寒の海に翼の触るる音          道に出てみな待春の影法師

  ぼんやりと鯉の影ある金魚かな       おほぞらはつかむものなし春疾風

  揺れながら照りながら池凍りけり      踏む影のそばからあふれ盆踊

  水渡り来し一蝶や冬隣         引き汐に貝のひかりや寒の入

  梅雨深し一つ色して亀と鯉本棚

 第五 句集『雪日』では、父親の介護と死、恩師である斎藤夏風、黒田杏子の死が続いた。  白さざんくわ白さざんくわ父病めり    長き夜の認知症とは白き闇

骨拾ふえにしに星の流れけり       かく急ぎたまひし今年の花も見ず

挽歌みな生者のために海へ雪

 自註の最後の方では、迷いなき心情が記されている。

  白山茶花あふれ咲きあふれ散り  令和五年作

 「句が生まれる瞬間は一瞬で、直感に近い。そこには倫理が挟まる余地がない。だから無意識に選び取った季語と韻律は自分の心と響き合うのだろう。」

 写生からはじまり迷いつつあれこれ試して再び写生に戻りを繰り返し、究極の写生にたどり着いたのだ。

  香水や時計は少しづつ狂ふ    わが身より狐火の立ちのぼるとは

 私のなかの藺草慶子さんのイメージは、好奇心旺盛で神出鬼没。吟行では一人にならないと詠めないらしい。

  涼しさのいづこに坐りても一人  どこにでも行けるさびしさ白日傘

  旅立たむ枯野の吾と逢ふために

『藺草慶子集』は、作家としての一つの折り返し地点なのだろう。これからも慶子さんの冒険の旅はつづく。

  綿虫と吾ともろともに抱きしめよ   藺草慶子

 綿虫は、腹部の末端に白い綿状の分泌物をもっている体長約二ミリの小さい虫である。冬になるとふわふわと浮遊し、白く光って見える。東北地方では、初雪の頃に舞うため雪虫・雪蛍とも呼ばれている。掲句の綿虫もふわふわと身の回りを飛んでいたのであろう。風に漂うように舞う綿虫は、自身の心の迷いのようでもある。その迷いもろとも抱きしめて欲しいと訴えているのだ。〈抱きしめよ〉という強い表現は、控えめな態度を示す相手へのもどかしい気持ちが込められている。自身と自身の身の回りに付随するもの全てを受け止めてくれる包容力と奪い去ってくれる強引さを求めているのだが、そうしない相手なのだ。抱きしめてくれたのなら、迷いも吹っ飛ぶのに。

 男性にかぎったことではないが、ここぞという時に一歩前へ進めない時がある。頭の中では、今この瞬間がチャンスと思っているのに急に思いとどまってしまう。相手からしたら、煮え切らない態度に苛立ちもするし、分かり合えないようにも感じるだろう。

 大学の後輩男性の話である。A君は大学時代、高校生の時から交際していた彼女がいた。彼女は優等生タイプで現実的な将来設計を描きそのレールを走っている人であった。対してA君の夢は小説家になることであった。優等生タイプの彼女が夢追い人のA君と交際することになったのは、A君が「俺と付き合ってくれなかったら死ぬ」と告白したからだそうだ。そのためか彼女はA君に対していつも強気だった。

 大学3年生の秋、その彼女が1年間留学することになった。「俺たちは強い絆で結ばれているから1年ぐらい離れていても平気さ」などと言っていたA君だが、彼女が旅立ってから数か月間はとても寂しそうであった。半年も過ぎたころ、A君が明るさを取り戻した。何か良いことでもあったのかと問うと、文学サークルに気の合う女の子が入会してきたのだという。Bさんというその女の子はA君より1学年歳下で小説家を夢見ているらしかった。Bさんと話をするのがとても楽しかったのか、授業やバイトの合間を縫っては毎日逢っているようであった。そのBさんに告白をされたのは、彼女が帰国する3か月前のこと。「彼女さんが帰ってくるまでで良いので付き合って下さい」と言われたのだそうだ。A君はただ何も言わずにBさんを強く抱きしめたとか。濃厚な3か月間はあっという間に過ぎて、留学先から彼女が帰ってくることになった。

 彼女が帰国する前日の夜のことである。A君とBさんは最後の想い出にと二人が最初にデートした公園を歩いた。公園の森の小径でBさんが立ち止まって言った。「私と付き合ってくれてありがとう。今日は最後だから、とびっきりかわいい服を着て美味しいものを食べて素敵な夜にしたかった。でも、やめた。そんなことをしたら、もっと悲しくなるから。だから、ここでサヨナラしましょう。もう電話もメールもしない。文学サークルも辞める。元気でね」。A君は驚いてBさんの腕をつかんで言った。「ちょっと待って。今日は、お店も予約してある。もう少し一緒にいようよ」と。夕暮れ近くの森に綿虫が舞いはじめた。Bさんが無表情で呟いた。「お店の予約のため?」。舞い降りた綿虫を払うかのようにA君の手を振り払って、Bさんは去って行った。

 その後、帰国した彼女とは考えが嚙み合わなくなり、別れてしまったという。「こんなことならあの時、Bさんにサヨナラしたくないって言えば良かった」とA君が言った。私が「何故言わなかったの? Bさんはきっと、彼女とは別れるからちゃんと付き合おうって言って欲しかったのじゃないかな」と言うとA君はため息をついた。「言うつもりだったんだよね。なのに、お店を予約したとかそんなことが頭をよぎったんだ。というか頭の中がフル回転し過ぎて、言いたい言葉が出てこなかった」。A君は、Bさんが去っていったあと、頭の中を整理してから連絡をしたが、電話もメールも繋がらなかったらしい。

 恋愛において、あとから「ああすれば良かった」「こうすれば良かった」と思うことはよくあることである。結論的にいえば、「ああしなかった」のも「こうしなかった」のも、心のどこかに迷いがあったからだ。Bさんが「サヨナラしたくない」ではなく「サヨナラしましょう」と言ったのも迷いがあったからだ。そして迷いよりも何よりも、A君に「サヨナラなんて嫌だ」と言って強く抱きしめて貰いたかったに違いない。

(篠崎央子)

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