数えずに生きる日々あり弥生尽 安西篤

https://www.sankei.com/article/20210313-JWT2LTREDNJNBGWCAD6LAS3VRY/ 【『数えないで生きる』岸見一郎著 停滞感一変させる心地よさ】より

 コロナ禍が過ぎ去るのはいつか、課せられたノルマは達成したか、あと何年生きられるか…私たちは何かにつけ人生を数えて生きています。本書は『嫌われる勇気』でおなじみの哲学者、岸見一郎先生が、考えを深めた末にたどり着いた、日々を「価値ある」ものにするためにできることは何かを探求する一冊です。

 初めて著者とお話しさせていただいた時期、私自身も人生のさまざまなことを数えては、思う通りにはならない現状に停滞感を味わっていました。それが、本書の打ち合わせを重ね、脱稿した原稿を拝読しているうちに一変しました。そして、この数えることから解放された心地よさを、一人でも多くの読者の皆さまにお伝えすることができればと強く思いました。

 著者は述べています。「生きることは苦しい。こんなふうに生きたいと思っても行く手を阻むことが起こる。それでもその人生を楽しんで生きることはできる」と。

 本書には、表題のほかにも「孤独は街にある」「片づけないで生きる」「競争から降りる」「まわりの人に助けられる」「なんにもどうでもかまわない」「不可逆的な人生を生きる」など、これまでとらわれていた価値観から自由になり、新たな幸福を見いだすためにできることが温かく丁寧につづられています。

 「読み終わるのがもったいないと思えた初めての本」という読者の感想をお伝えすることで本書を「届くべき人に」お届けできれば幸いです。


https://ameblo.jp/masanori819/entry-12671529590.html 【2021.4.30 一日一季語 弥生尽(やよいじん《やよひじん》)  【春―時候―晩春】より

2021.4.30 一日一季語 弥生尽(やよいじん《やよひじん》)  【春―時候―晩春】

ときならぬ畳替して弥生尽     松村蒼石

畳が広く一般庶民まで普及した江戸時代において、畳替は年末の時期に多く行われていました。新しい年をきれいな畳でむかえようとする人がたくさんみえたのです。そのため、俳句において、畳替は冬の季語です。

したがって、弥生尽=春の終わりに畳替をしている景が、ときならぬこととして、新鮮に思えたのでしょう。

この畳替から私は、忠臣蔵を思い出します。吉良家からの数々の嫌がらせのあと、3月12日。浅野家は、勅使の参詣に備えるため増上寺の掃除を行います。そして、この日の夕刻に、持病の腹痛を堪えて、吉良の下見に付き添った浅野内匠頭に対し、吉良は、明日までに畳を全て新品にしろと無理難題を押し付ける場面。家臣の片岡源五右衛門、大高源呉らが 江戸中の畳屋を掻き集めて終夜に作業にかからせたが、間に合いそうにない。堀部安兵衛が蔵前に住む飲んべえの音吉なる腕利きの畳職人を、酒飲み競争の末に意気投合し、、翌朝までに二百畳の畳を新しくするという場面です。

【傍題季語】

三月尽(さんがつじん《さんぐわつじん》) 四月尽(しがつじん《しぐわつじん》)

【季語の説明】

旧暦三月の晦日をいう。 陰暦三月(弥生)が尽きること。 陰暦では一月から三月が春であるため、三月は春の最後の月。 春が終わるという感慨や、行く春を惜しむ気持ちが込められる

2021年の旧暦3月30日は、5月11日になります。

陰暦では一月から三月が春だったので、三月は春の最後の月でした。このため、弥生尽という旧暦の呼び名が主季語となっています。春が終わるという感慨や、行く春を惜しむ気持ちが込められています。

新暦になってからは、五月の初めが立夏で。四月尽に春がつきる感慨を詠むことが増えているということです。

【例句】

倚り馴れし柱も焼けぬ弥生尽    桂信子

弥生尽むらさき帯びし招魂祭    近藤弘

朝より主人出あるき弥生尽     西山泊雲

珈琲を挽く香の厨弥生尽      大野雑草子

簾吊つて寮めく家や弥生尽     富田木歩

【季語の語源など】

三月尽詩は、白楽天の詩。この詩から、暦月における春の最後の日を、弥生尽という言葉が生まれたとする説があります。三月尽詩は平安人を魅了し、菅原道真、島田忠臣等が三月尽詩、それを秋に置き換えた九月尽詩を詠んでいます。このことから、和歌に応用され、弥生晦日、長月晦日の和歌も生まれたそうです。

俳句の世界も、こうした言葉から、弥生尽(四月尽)水無月尽(六月尽)長月尽、(九月尽)など、陰暦で、春の終わり、夏の終わり、秋の終わりということが季語となっていきました。

尽とは終わりと言う意味があることから、こうした季語が生まれたのです。

現代では。陽暦になって、季節のズレがありますが、1月尽、二月尽など、月の終わりに尽という言葉をつけた季語として新たな地位を確保しているようです。



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