銀杏
Faceook相田 公弘さん投稿記事
「生きた化石」といわれるイチョウのルーツは、2億年余り前にさかのぼり、恐竜の時代には世界で繁栄していたといわれます。ところが、その後絶滅に向かい中国の一部でわずかに生き残ったものが、鎌倉時代の豪族による南宋との交易によって、初めてギンナンの実が大陸から伝えられた。
5代将軍・綱吉の時代に、長崎のオランダ商館付きの医師として来日したドイツ人ケンペルが驚いたのが、イチョウで、帰国の時、その種子(銀杏)を持ち帰って、絶滅したと思われていたヨーロッパでもイチョウが蘇ったのでした。
ゲーテはイチョウを愛し、次の様な詩を遺しています。
「銀杏の葉」 ゲーテ
東洋からはるばると わたしの庭にうつされたこのいちょうの葉は
賢い者のこころをよろこばせる ふかい意味をもっているようです。
これはもともと一枚の葉が 二つに分かれたのでしょうか?
それとも二枚の葉がたがいに相手をみつけて ひとつになったのでしょうか?
このようなことを思っているうちに
わたしはこの葉のほんとうの意味がわかったと思いました。
あなたはわたしの歌をきくたびにお感じになりませんか、
わたしが一枚でありながら あなたと結ばれた二ひらの葉であることを
(手塚富蔵訳:世界の詩集1「ゲーテ詩集」角川書店)
1815年、66歳のゲーテは、この詩に自宅の庭に植えてあったイチョウの葉を添えて、25歳も若い恋人ヴィレマー夫人に贈ったという。東洋に一種のあこがれを持っていたゲーテには、イチョウは東洋の象徴でもあった。
銀杏(イチョウ)は東京都の木・大阪府の木に指定されているように、大都市の街中で最も多く目にする高木種で、イチョウが都会の街路樹として好んで利用されるのは、排気ガスなどの大気汚染に強い落葉樹という性質によるが、耐火性に優れるという特質が防災面で期待されていることもあるらしい。
東京は近代以後、関東大震災、東京大空襲と2度大火に見舞われたが、一面焼け野原という状況で、火に耐えて生き延びたイチョウは少なくない。
銀杏は美味しいですが、あの果肉の臭いには参ります。(^_^;)
※写真は、足利氏宅跡・鑁阿寺(ばんなじ)の大銀杏です。
https://www.city.ashikaga.tochigi.jp/education/000029/000169/000627/p001206.html 【鑁阿寺のイチョウ(ばんなじのいちょう)】より
本堂に向かって左前方にあり山門をくぐると、すぐ目に付くとても立派なイチョウの木です。
地上3m位のところから2本に別れていて、どちらも数本に分岐し、地上15m付近で殆どの枝が切られたようになくなっており、その部分から2~3本の枝が伸びて、壮大な樹形を形づくっています。
根元の2本に別れている部分は、本来2本の木が合体したようにも見られますが、明確にはわかっていません。
周囲に石柱で囲っているのは、参拝者による踏み固めを防ぎ、木を守るためのものです。
鑁阿寺(ばんなじ)は鎌倉時代初頭に源性足利氏二代目足利義兼が邸内に持仏堂を建てたのが始まりとされ、国宝の本堂をはじめ多くの指定建造物があり、境内には沢山の樹木が植えられていますが、この樹は鑁阿寺境内の中で最も大きいのもので、幹の太さや全体の大きさから樹齢550年前後と推定されます。
Faceook相田 公弘さん投稿記事
世界を平和にするのは誰でしょうか?立花大敬先生の「銀杏の樹」という詩が心に響きます。
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ある老経済学者が 世界の行末(いくすえ)を案じながら 庭を散歩していました
黄葉の銀杏の樹に 「世界を平和にするのは 誰だろうね」と ふとたずねました
すると、銀杏の樹から答えが帰ってきました
「世界を平和にするのは 政治家でも 軍人でも 学者でもないのだよ。
世界を平和にするのは 毎日の生活を 喜びをもって 淡々とおくっている人たち、
思いやりと 愛をもって 縁ある人と接する人たち、こんな人たちによって 世界は支えられ
保たれているのであるし こんな人たちによって 世界の平和は 実現されるのだよ」
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「大敬詩集」 立花大敬 著 本心庵より
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お茶をいれると、1杯目のお茶は、甘みがあります。2杯目のお茶は、渋みがあります。
3杯目のお茶は、苦みがあります。4杯目のお茶は、うすい色のついた、甘みも渋みも苦みも殆どない出がらしです。
茶聖といわれる千利休は、この4杯目以降のお茶の味を「淡味(たんみ)」といいました。
そしてこう言います「この淡味のよさがわからない限り、お茶は永久に理解ができない」
千利休が言いたかったのは、「淡味を知ることは、感謝を知ること」
茶器や茶葉が良い悪いと言っているうちはまだまだ。
淡味、つまり味も素っ気もないものを「これはいい!」と思えるかどうか。
淡々と過ぎていく日常に、「幸せだな~」と思えるかどうか。
どこかに旅行に行かなくても、特別な料理を食べなくても、有名人に会わなくても、
いつもの朝が来て、いつもの人と会えて、いつものものを食べれて、いつものように眠りにつけることが、どれだけ幸せなことか。
世界を平和にするのは誰か?それは、淡々と生きる私たちだったのですね♪
※魂が震える話より
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