『俳句の水脈を探る』

https://fragie.exblog.jp/38259494/ 【新刊・角谷昌子著『俳句の水脈を探る」の装丁は間村俊一さん。その間村さんの第3句集をお祝いする会へ】より

(略)

角谷昌子著『俳句の水脈を探るー平成・令和に逝った俳人たち』が出来上がってくる。

待たれていた一冊である。

新刊・角谷昌子著『俳句の水脈を探る」の装丁は間村俊一さん。その間村さんの第3句集をお

この書籍については、また改めて紹介をしたいと思う。

装丁は間村俊一さん。間村さんらしいスタイリッシュな出来映えである。

昨日の夕方には、「間村俊一句集『德兵衛はん』刊行を祝ふ會』が、アルカディア市ヶ谷で午後六時よりあって、スタッフのPさんが出席。

150人以上の人が集い、間村さんを祝った。

新刊・角谷昌子著『俳句の水脈を探る」の装丁は間村俊一さん。その間村さんの第3句集を

ご挨拶をする間村俊一さん。

「3000冊の装丁をして第3句集を刊行しました。これでもういいかなとおもったのだけど、第4句集によせる皆さんの期待をきいて、4000冊の装丁をして第4句集をめざします」とご挨拶。

https://bookface.hatenablog.com/entry/2024/12/01/180000 【俳句の水脈を求めて 平成に逝った俳人たち 角谷昌子】より

その他評論評伝 その他句集

 2018年11月、角川文化振興財団から刊行された角谷昌子の評論集。未来図叢書第210篇。

 「第Ⅰ部」に収録した十二名の作家論は、角川書店「俳句」に、平成二十五年の一年間連載された。その中の「インタビュー」は、私が講師を務めた調布市市民講座に、ゲストとしてお招きした方々に直接うかがった内容などからの論考である。

「第Ⅱ部」は、平成二十六年から三年間に亘って「未来図」誌上に連載された作家論である。第Ⅰ部、第Ⅱ部とも、大分訂正を加えたが、順番は掲載のまま、流れを変えずに収録した。資料については、ゲストの方々はもちろん、荏原京子、大井恒行、柿本多映、川崎美喜子、久保純夫、越村藏、攝津資子、中村和弘、福田葉子、吉野洋子各氏ほか、多くのみなさまに大変お世話になった。

 膨大な数におよぶ参考資料は、取り上げた俳人の句集など、ほとんどの自著は省いて巻末に掲載し、引用文献は、なるべく本文中に記した。

(「あとがき」より)

目次

まえがき――俳句の力

Ⅰ 時代を展いた俳人たち

飯島晴子 言語芸術としての俳句を求めて     野澤節子 俳句を一筋の光として

川崎展宏 現代に息づく古典と俳味        藤田湘子 一日十句の荒行を超えて

佐藤鬼房 生涯を貫く「愚直」精神        上田五千石 「眼前直覚」への道程

永田耕衣 俳句という「精神遍歴」        能村登四郎 心象世界を拓く

桂信子 身体感覚からの飛翔         三橋敏雄 アナクロニズムを経た言語造型

森澄雄 虚実皮膜の間の遊び          飯田龍太 生命を慈しむ俳句

Ⅱ 時代を映した俳人たち

草間時彦 人生即俳句         中村苑子 「メメント・モリ」からの出発

橋閒石 魂の衝動としての創作     田川飛旅子 不可視の世界を描く

細見綾子 天然自然の柔軟性      八田木枯 俳諧の秘したる花

津田清子 生命の根源を求めて     古沢太穂 信念を貫く境涯と作品

村越化石 心眼心耳の世界へ      鈴木真砂女 背骨を貫く荒海

鈴木六林男 作品こそ表現・精神史   攝津幸彦 俳句で探る存在の根源

田中裕明 この世に招かれた客人     金子兜太 「存在者」の透徹

あとがき

参考文献


https://ooikomon.blogspot.com/2018/11/blog-post_11.html 【攝津幸彦「荒星や毛布にくるむサキソフォン」(『俳句の水脈を求めて』より)・・・】より

 角谷昌子『俳句の水脈を求めてー平成に逝った俳人たち』(角川書店)、帯には、

 昭和を生き、平成に逝った26俳人の作品と境涯。彼らはどのように俳句に向き合い、何を俳句に託したのか。そのひたむきで多様な生と、魂の表現としての俳句の水脈を探る。

 とある。巻尾に収載された俳人は先般98歳で亡くなっ良くも悪くも文字通り、虚子以来の巨星だった金子兜太、およそ本書の昭和~平成時代の締めを飾るにはうってつけの俳人である。

 愚生は、同時代を生きて来た攝津幸彦や田中裕明にどうしても眼が行ってしまうが、巻頭が飯島晴子であるのは、藤田湘子やアベカンとのエピソードを含めていささかの感懐があるので嬉しい。今、平成時代が尽きようとしているとき、愚生にも、そのほとんどの俳人の姿を目撃できた同時代の俳人であることも本書を身近なものにしている。第一章のインタビューに登場した俳人に女性が圧倒的に多いのも興味深く面白い。

 著者「前書きー俳句の力」には、

 本稿執筆により、影向や回向、すなわち魂を慰め、しかも自分を鼓舞するという俳句の力が、平成を通して見えてきた気がする。もしかしたら、ほんの一面かも知れないが、平成の物故俳人を振り返って実感したことである。やはり、俳句の力はここにある。生きて俳句を詠むのは、俳句の恩恵に浴しているからだと思う。

 と記されている。因みに「攝津幸彦ー俳句で探る存在の根源」には、

 創作者であり、批評家である重信を攝津は自分の審判者として選んだ。赤黄男、重信、攝津の三俳人に共通しているのは、抱え込んだ虚無感を反抗と否定の精神で超克し、独自の句境を切り拓いたことだろう。

 「感動を詠む」ことが現状肯定に繋がるのは当然だ。三俳人は、常に批判精神を抱き、従来の言語表現を単に踏襲せずに、「感動を創る」ため、意味の伝達性を排除して言葉を「書く」ことに集中した。彼らの創作態度は「諷詠」ではない。 

 と喝破している。もって瞑すべきか。最後に収録作家を列挙しておこう。それにしても本書を読むと戦後俳句は事実上終焉したように思える(もちろん、現在の若者を魅了している攝津幸彦、田中裕明はいる)。

 飯島晴子・野澤節子・川崎展宏・藤田湘子・佐藤鬼房・上田五千石・永田耕衣・能村登四郎・桂信子・三橋敏雄・森澄雄・飯田龍太・草間時彦・中村苑子・橋閒石・田川飛旅子・細見綾子・八田木枯・津田清子・古沢太穂・村越化石・鈴木真砂女・鈴木六林男・摂津幸彦・田中裕明・金子兜太。

 角谷昌子(かくたに・まさこ) 1954年、東京都生まれ。



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