寒月や赤く灯れる電波塔 五島高資

https://note.com/astro_dialog/n/n1fc01135d492 【宮沢賢治の宇宙(10) 賢治とゴッホのお月見】より

銀河のお話し」の状況設定と同じです。 こちらをご覧ください。 https://note.com/astro_dialog/n/n7a6bf416b0bc

月を見るゴッホ

『十五夜お月さん』 子供の頃、この童謡を歌った記憶がある人は多いだろう。暗い夜道を照らしてくれる月は、ありがたい存在だ。ただ、星空を堪能したいときは、月明かりは欲しくない。そのため、天文ファンにとって、月は微妙な存在とも言える。しかし、月が嫌いな人はいないものだ。

また、形を変える月に自分の思いを詠む人もいる。

この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

この歌を詠んだのは平安時代に摂政関白太政大臣に上り詰めた藤原道長(966-1028)だ。この歌は極端な例かもしれないが、月の形と東の空に昇る時間帯を意識していた人は多い。望月は満月なので、太陽が沈んだときに東の空に登ってくる。次の日は十六夜、いざよいの月だ。十七夜以降は、立待(たちまち)、居待(いまち)、寝待(ねまち)、更待(ふけまち)と続く。十八夜までは月の出を立って待っていられるが・・・。やはり、人は月の出を待っているのだ。

天文部の部室のソファーに寝転がって、輝明がこんなことを考えていたら、部室に優子が入ってきた。「はい、部長、起きてください。」

これはやむを得ない。輝明はよっこらしょと起き上がった。我ながら情けないと思いつつ、優子の方に顔を向けた。「部長、今日は満月みたいですよ。」

「今日は天気がいい。家に帰る途中、昇ってくる満月が見えるね。」

「この前、ゴッホの絵について少し話をしてから、ゴッホの絵をいろいろ見るようになりました。」

「何か面白い発見はあったかな?」

「ゴッホの《星月夜》には明け方昇ってくる逆三日月の形をした二十六夜月が描かれていました。星月夜は、月がなくても、星あかりだけで月夜のように夜空が明るい夜のことです。本来なら《星月夜》に月は必要ない。そんなことを考えていたら、ゴッホは月をどのぐらい描いたのだろうか、気になり始めました。」

「なるほど、面白い視点だね。」

「ゴッホは800点以上の作品を残しているのに、たった5点しかありませんした(図1)。」

「おお、それはずいぶん少ないね。もっと、たくさんあるかと思っていたよ。」「私もです。」

(略)

「しかも、描かれた月の形にはかなりの偏りがあります。三日月が3点、満月が1点、そして《星月夜》に描かれている逆三日月の二十六夜月が1点です。」

「うーん、上弦の月もないのか・・・。たしかに、すごい偏りだね。」

「満月は《小麦畑と昇る満月のある風景》に描かれているんですけど、まるで沈んでいく赤い夕日のようにも見えます。実際、そういう解釈もあったようです。」

「月も太陽も地平線に近い場合、地球大気の吸収の効果で青い光が吸収されちゃうので、赤く見える。この絵を見ると、たしかに月なのか太陽なのか、わからないね。」

「実は、この絵に似た絵がひとつあります。《日光の中のわらぶき屋根の家々:北の回想》です(図2)。

図2 ゴッホの作品《日光の中のわらぶき屋根の家々:北の回想》 https://ja.wikipedia.org/wiki/フィンセント・ファン・ゴッホの作品一覧#/media/ファイル:Van_Gogh_Thatched_Cottages_in_the_Sunshine.jpg

「なるほど、似ているね。昇る朝日、沈む夕日、あるいは昇る満月。悩ましい。」

「ただ、タイトルに「日光の」があるので、月の絵には入れませんでした。」

「了解。しかし、月が描かれた絵がった5点とは、ホントに驚いた。」

月を見る宮沢賢治

「ついでに、宮沢賢治の作品に月がどのぐらい出てくるか調べてみました。」

「おっ、それはすごい!」

「その結果が表1です。ゴッホの結果も合わせて書いておきました。」

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「うわあ、新月から始まって、二十六夜の月まであるのか! さすが賢治だね。賢治は夜中の散歩が大好きだった。野宿もヘイチャラ。さらに、登山も大好きだった。」

「岩手山には20回以上も登ったという話がありますね。」

「うん、多くの場合、目的は頂上でご来光を拝むためだったみたいだ。」「そうなると、夜間の登山ですね。」

「夜空を眺める分にはいいけど、大変だったと思う。何しろ、岩手山の標高は2000メートルを超えている。」

賢治は「弓張(ゆみはり)月」が好きだった

ここで、優子は自分の意外な発見について話した。

「この表を作って初めて分かったんですけど、賢治はいろんな月齢の月を見ています(図3)。その中でも、上弦の月と下弦の月が好きだったんだなあって。」

「弓張月だね。」

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図3 月の見え方と月齢。上弦の月と下弦の月はその形状から弓張月(弦月)とも呼ばれる。 https://kids.yahoo.co.jp/zukan/astro/phenomenon/0005.html ここにある図を元に作成。

「弓張月は弦月(げんげつ)とも呼ばれますが、賢治は弦月の方を好んでいたみたいです。」

「上弦の月なら夕方から夜半まで見えるから、弦月は上弦の月の方を指すんだろうね。」

「はい、そうみたいです。賢治の短歌を調べたら、次の一首がありました。

星もなく赤き弦月たゞひとり窓を落ちゆくは只ごとにあらず(短歌暗号93  大正3年4月)(『【新】校本 宮澤賢治全集』第一巻、17頁、筑摩書房、1996年)

「なるほど、おそらく真夜中に上弦の月が西の空に沈んでいく様子だね。大正3年というと、賢治は18歳。体調を崩して入院したことがあった。病院の窓から眺めた景色かな。賢治は異界を見ることができる人だったみたいだから、これもその類かな。」

「幻視?」

「賢治はガラスのマントを羽織った又三郎を空に見た人だからね。」

「???」

半月の賢治、三日月のゴッホ

賢治とゴッホ。二人は確かに傑出した天才である。面白いのは二人の差が好きな「月」の形に出ていることだ。

今日、輝明と優子は学んだ。

「ゴッホは三日月か二十六夜月(逆三日月)を好んでいた。どうも満月は嫌いなようで、上弦から下弦の月も絵には出てこない。かなり極端な性向が見える。一方、賢治は夜の山歩きで見た、さまざまな形の月を作品に散りばめている(表1)。」

「でも、半月、弓張月が好きだった。」

輝明と優子、二人は確信した。

「弓張月の賢治、三日月のゴッホ(図4)。これが結論だ。」

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図4 賢治の好きな弓張月(上弦と下弦の月)、そしてゴッホの好きな三日月と二十六夜月。 ゴッホの写真: https://ja.wikipedia.org/wiki/フィンセント・ファン・ゴッホ#/media/ファイル:VincentVanGoghFoto.jpg 宮沢賢治の写真: https://ja.wikipedia.org/wiki/宮沢賢治#/media/ファイル:Miyazawa_Kenji.jpg 月の画像はWIKIPEDIAから取得。下弦の月と二十六夜月は反転処理をして作成。

結論を出してみたはいいが、輝明は首を傾げた。「ただ、なぜ二人の好みが違っているのか・・・。」優子がふと思いついた。

「そうだ、賢治さんに聞いてみましょうか?」「おっ、いいね。」

「賢治さん、どうして半月が好きだったんですか?」賢治が花巻弁で答える。「ワガンナイ」


https://note.com/astro_dialog/n/nf6eeb5830399 【宮沢賢治の宇宙(8) 心象スケッチで繋がる賢治とゴッホ】より

《夜のカフェテラス》のスケッチの謎

放課後、今日も輝明は天文部の部室にいた。いつも先に来ている優子の姿は見えない。

前回の部会で、ゴッホの《夜のカフェテラス》にはスケッチが残されているという話をした(後で出てくる図2を参照されて下さい)。なぜか完成された絵とは微妙に違う。部会でこのスケッチの話をしながら、輝明の頭の中にはある言葉が浮かんだ。それは「心象スケッチ」だ。この言葉は宮沢賢治が自分の作品に対して使った言葉として有名だ。ゴッホの絵を見て、なぜこの言葉が浮かんだのか? 輝明はよくわからなかった。そのため、前回の部会では話題に出さなかった。しかし、やはり気になる。このことについて天文部の部員の意見を聞いてみたいと思い始めていた。

そのとき、部室のドアが開いた。優子だ。「あら、部長、今日は早いですね。」

元気な優子の声が部室に響いた。「やあ、優子。ちょうどよかった。少し話をしたいと思っていたんだ。」「どんなことですか?」「優子は「心象スケッチ」という言葉を知ってる?」

「宮沢賢治ですか?」「おっ! それなら話は早い。」

心象スケッチ

宮沢賢治(1896-1933)は岩手の花巻で生まれた詩人・童話作家だ。普通、詩を書いたら、それを詩という。童話を書いたら童話という。しかし、賢治は違った。自らの作品を「心象スケッチ」と呼んだ。不思議だが、優しさも感じる言葉だ。まるで、賢治のような、と言うべきか。賢治の代表的な詩、『春と修羅』の「序」は、こう始まる(『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、7頁、筑摩書房、1995年)。

わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です

はっきり言って、僕にはよくわからない。そして、そのあとの方に出てくるのが「心象スケッチ」だ(『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、8頁、筑摩書房、1995年)。

ここまでたもちつゞけられた かげとひかりのひとくさりづつ  そのとほりの心象スケツチです どうだい?」「たしかに、よくわからない詩です。」

「賢治はメモ魔であったことはよく知られている。どこにいくときもメモ帳とペンを持ち、せっせとメモをしていたそうだ。ある瞬間、感じたことをメモにする。それが心象スケッチなんだろうね。」

「なるほど、見たまま、感じたままの言葉ということでしょうか。もしそうなら、特に問題はないような。」

「そうなんだけど、もうひとつわからない言葉がある。」

「なんですか?」「Mental Sketch Modifiedという言葉だ。」「あら、英語ですね。」

「賢治は語学も堪能だったから。」「問題は、この言葉の意味ですね?」

「そうなんだ。どう思う。」 Mental Sketch Modified「もう少し説明しておこう。」

「お願いします。」

「賢治の「兄妹像手帳」と呼ばれる手帳に、『銀河鉄道の夜』に関連すると思われるメモがある(図1)。このメモに示された作品の名前は “The Great Milky Way Rail Road”だ。日本語にすると、“偉大なる天の川鉄道”。」「すごいタイトルです!」

「もちろん、これは明らかに『銀河鉄道の夜』のことだ。日付は1931年9月6日。賢治の亡くなる二年前のことで、最終形(第四次稿)を仕上げていた頃になる。しかし、このメモには、まだ night (夜)は出てこないんだけど、タイトルが決まったのは1931年の頃なんだろうね。」

図1 宮沢賢治の兄妹像手帳にある銀河鉄道の夜に関連するメモ (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十三巻、(上)本文篇、405頁、筑摩書房、1997年)

「賢治の作品で“mental sketch modified”が付けられている他の作品はあるんですか?」

「うん、あるよ。『春と修羅』の「序」の他には、「青い槍の葉」と「原体剣舞連」がある。ところが、もうひとつあった。それが『銀河鉄道の夜』。「兄妹像手帳」のおかげで、この童話にも“Mental Sketch Modified”の称号が与えられていたことがわかったんだ。」

「どうしてこれらの作品だけなんでしょうね。あれだけたくさんの作品を残しているのに不思議です。」

「そうなんだ。『銀河鉄道の夜』以外の三つの作品に何か共通することがあるのか? これについては、今福龍太さんがひとつの共通点を指摘している。

「 (mental sketch modified) 」と但し書きされた三篇すべての作品に「気層」ないし「気圏」という語が使われていることにも注意を払わねばならないでしょう。 (『宮沢賢治 デクノボーの叡智』(今福龍太、新潮選書、新潮社、2019年、223頁)

ただ、「気圏」や「気層」は賢治のお気に入りの言葉だ。【新】校本の索引で調べてみると、「気圏」が49回、「気層」が15回も作品の中で使われている。」

「そうなると、単に「気圏」や「気層」を取り入れたから、“mental sketch modified”になっているわけではないんですね。

「実際のところ、『銀河鉄道の夜』には「気圏」や「気層」という言葉は出てこない。」

「あとは、書かれた年代かな。『春と修羅』の執筆は大正十一年、十二年(第二巻、5頁)。1922年と1923年だ。また、『青い槍の葉』と『原体剣舞連』も1922年に書かれている。どうも、年代的には、“mental sketch modified”は1922年頃に結びついているようだ。」

「1922年といえば、妹トシが亡くなった年ですね。」

「そうだね、トシとの関係はやや気になる。『銀河鉄道の夜』では、主人公であるジョバンニの親友カムパネルラが川で溺れて死んでしまう。」「はい、とても悲しい出来事です。」

「カムパネルラにモデルがいるとすれば誰か?」「トシですか?」

「うん、有望なモデルは妹のトシだと考える人が多いようだ。賢治は『銀河鉄道の夜』の推敲を重ねながら、トシの面影を追い続けていただろう。時を重ねながらの「心象スケッチ」というところかな。」

Modifiedの意味

そこで、優子が思い出したように言う。「ところで、modifiedというのは、どういう意味ですか?」「modifyというのは「修正」とか「変更」を意味する英単語だ。」

「じゃあ、「心象スケッチ」としてざっと作品を書いたけど、あとで修正を加えたということでしょうか?」「それでいいと思うよ。ところが、今まで、いろいろな意見が出されている(表1)。」

「なんだか、難しい解釈が多いですね。」

「この中で最もシンプルな捉え方は恩田逸夫の“再構成された”だろうね。僕はさっき優子が言った「心象スケッチ、修正版”」ぐらいでいいような気がするよ。」

「賢治さんに答えを聞きたいところですけど・・・。」

Modifiedの位置

「あと、もうひとつ。Mental Sketch ModifiedはModified Mental Sketchとしてもおかしくはない。」

「そうですね「修正された」という形容詞としてmodifiedを使えば、Modified Mental Sketchの方が自然かもしれません。」

「以前、天文関係の本で読んだんだけど、論文のタイトルとして。「Galaxy formation theory, revisited」というのを見かけたことがある。これは「銀河形成論、再訪」という意味だ。賢治は自然科学と英語に長けていたので、こういう使い方を知っていたのかもしれないね。賢治に科学者としての才能を見る思いだ。」

そうだ、ゴッホの話だった!

「おっと、もう5時を過ぎちゃった。」

「あら、ホント。話をしていると、あっという間に時間が過ぎちゃいますね。」

「今日は、ゴッホの《夜のカフェテラス》のスケッチについて、優子の意見が聞きたかったんだ。」「どんなことですか?」「スケッチはまさに「心象スケッチ」だった。そして、作品として残された《夜のカフェテラス》は「Mental Sketch Modified」だった(図2)。こんな考え方をしてもいいのかなと思ったんだ。」

図2 (左)《夜のカフェテラス》のスケッチ。(右)《夜のカフェテラス》 (左) https://www.artpedia.asia/work-café-terrace-at-night/ (右) https://ja.wikipedia.org/wiki/フィンセント・ファン・ゴッホの作品一覧#/media/ファイル:Vincent_Willem_van_Gogh_-_Cafe_Terrace_at_Night_(Yorck).jpg

「賢治とゴッホの流儀には似たものがあった。そういうことですね?」

「うん、しかし今日はもう遅い。また、今度話そう。」「了解です。」

優子は新たな面白いテーマに興味を持ってくれたようだ。輝明は安堵した。

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