受難

facebook斎藤一人さん投稿記事·

この世界は「違う」ことが当たり前で、違いしかありません。人の考え方は十人十色です。10人いれば、本当に10通りの感じ方や考え方がある。似たような感覚の人はいても、全く同じってことはないよね。だから、この世は楽しいし、個性があっておもしろいんです。

ひとり


facebook西田普さん投稿記事

いま心や体調が不安定なかたもおられるかもしれません。人生にはいろんなことが起きてきます。不安なこと、心配なこと、悲しみ、、、孤独、、、体調やメンタルが落ち込むことも、

ありますよね。そんなとき、ご先祖さまや神様にただただ真剣にお祈りしていくと、それを、少しずつ、引き取ってもらえることがあります。心が気づいたら少し軽くなることがあります。そしたら、そこからちょっとずつ、出ていける、ということがあります。

ひとりで取り組んでいるのではなかったとわかる、ということもあります。

それでしみじみ思い出したことを以下にシェアさせていただきますね。

〜〜〜

ヴァイオリンって、使う木材によって全然、違う音色になることは、よく知られています。

で、実は・・・「寒い地方の、山の北斜面」で育った樹木が、ヴァイオリンの材料として、喜ばれるそうなんです。

なぜなの?というと、「寒い地方の、山の北斜面」て、樹木にとっては、ある意味、

しんどい環境だったりするわけですよね。で、樹木がじっくり、じっくり育つために、、、

年輪」が密になるそうです。そうして、結果的に木材の強度が高くなる。

つまり「寒い地方の、山の北斜面」で育った樹木だからこそ、質のいいヴァイオリンの材料となり、、、奏でられた時、その音色で、たくさんの人に感動を与え、心身を癒すことができるのだそうです。

これは「人間の成長」「魂の成長」とも、ある程度、共通するところがあるのかもしれません。

実は、人生で何か「しんどいこと」「苦しい時期」を体験してきた人は魂的な生き方をしていくリーダー、魂の上級者の可能性があるようです。

このブログの読者のかたはもしかしたらピンとくるかもしれません。

どういうことかと言いますと、「全ての体験に意味がある」とはよく言いますが、

だれかにそう言われても、しんどい時期には、なかなかそうは思えないですよね。

あなたに何がわかるのよ・・・となってしまいかねません。

ところが誰かが、「しんどかった時期をこうやって乗り越えてきた」というエピソードを話してくれると、、、「自分はこういうしんどい体験をしてきた。苦しかったけど、こうして乗り越えてきた。そして、今、こうして生きている。あの過去に感謝できるようになった」と、話してくれると、それを聞いた人はその時、「あ、私にも乗り越えられるかもしれない。

そして、私が体験したことにも、この人が伝えてくれたように、もしかしたら意味があるかもしれない」と、感じられるようになっている、ようなんです。

自分の体験という杖が、誰かが立ち上がり、歩くときの支えとなれることがあるんですよね。

そのとき、かつて悩みだったことこそが宝に変わります。

誰かに奉仕できたことで、自分の過去の意味も、変わりそうすると、その過去の登場人物全員に、場合によっては光が届くことになります。


facebookあいことば投稿記事 「かなしみ 」

なんとも言えぬかなしみが潮のように満ちてきてじつと寝ていられぬときがある

なんとも言えぬかなしみが潮のように引いていったあと まもられている自分に涙することがある(『坂村真民全詩集第一巻』より)

まさしくその通りだと思うのです。

五木寛之先生の『自力と多力』(ちくま文庫)を読んでいると、 「悲しみを癒やすものは、悲しみである」 という章がありました。

五木先生の知人が入院されたとき、その方と同じ病院に二十歳そこそこの女性が入院したそうです。がんを患い、副作用に苦しまれていたといいます。

その若い女性が毎晩窓から見える東京タワーを見ながら、しくしく泣くのだそうです。 その理由を聞いてみると、 「死は怖いのですが、それよりももっと納得できないことがある」 というのです。

それは 「どうして自分だけが、こんなにきれいな夜景のなかで、苦しまなければならないのか、その理由がわからないことが苦しくて悲しいのです。 私と同じ若い人たちは、きっといまごろ、デートをしたり、コンサートに行ったり、本を読んだりしているのでしょう。 なのになぜ自分だけが、抗がん剤治療のために髪も抜けて、吐き気に襲われながら、窓の外の東京タワーをみていなければならないのでしょうか」 という、深い悲しみなのです。

こんな女性の質問にどう答えたらいいのか、五木先生は考え続けられたと書かれています。

考え続けた結果、実際にその若い女性を前にしたとき、言うべき言葉など何もないと思い至ったといいます。

「ただできることと言えば、かたわらにいて、ともに泣いているだけのことです。何も言わない。 じゃまだといわれれば、だまって去るしかない。」 というのであります。 これが、「慈悲」の「悲」なのだと五木先生は説かれています。

そこでこの一章に最後に、 「東京タワーの見える病室の女性を、もしわずかでもやわらげるものがあるとすれば、それはやはり悲しみでしかないのかもしれません。 悲しみの暗闇のなかで、一厘でも苦しみをやわらげるものがあるとすれば、ともに悲泣することしかないのではないでしょうか。」 と結んでおられます。

今の悲しみが、将来誰かの悲しみを癒やすことになれる時がくるのであろうかと、 なぜか庭の牡丹の白い花も、悲しく咲いているように見えます。  横田南嶺

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